「集団改宗」って

何なのだろう、と、ここのところ、うすぼんやり考えている。

私は高度経済成長を終えた日本で生まれ育って、政教分離の原則がそれこそ「原則」として身体に染み付いていて、「宗教は個人の、内面的な、精神的なもの」というイメージをやっぱりぬぐいがたく持っている。

一方で、イスラムみたいな、宗教が政治を覆っていて、その中であらゆる生活の営みがなされている地域があることも、知ってはいるけれど、それは「知っているだけ」である。


今、インドの新仏教について調べているのだけれど、何をどうたどっても、結局「集団」で「改宗」する、というところに疑問が還ってきてしまう。

一部では「アンベードカル宗」なんていわれている新仏教の、文字通りの「開祖」であるアンベードカルという人は、不可触民の出身であったけれども持ち合わせた才能と周囲の援助でアメリカ・コロンビア大学、イギリス・ロンドン大学でそれぞれ修士号、博士号を獲得し、上級法廷弁護士の資格まで取得した、まれに見る「植民地エリート」であり、非常に合理的に物事を考える人でもあったようである。

独立に専心してカースト制を擁護し、社会改革には不熱心であったガンディーと激しく対立し、「私はヒンドゥーとして生まれたが、ヒンドゥーとして死ぬ事は無い」なんて宣言をして、かなり早い段階から「改宗」を意識していたアンベードカルは、最終的に改宗先として仏教を選んだけれども、その仏教の教えのうち、彼にとって「非合理的」と思える部分はざっくりと削っている。 さらには彼が改宗するときに、その改宗式に参列していたマハール・カースト(アンベードカルの出身カースト)の「同胞」全員が同時に立ち上がって仏教に改宗した、という逸話は、彼の人間的魅力を表わしているし、その結果「ブッダへの信仰」とともに「アンベードカル個人への信仰」も新仏教の信者の中には抜きがたくあって、だから、半ば皮肉をも込めて「アンベードカル宗」とか、「アンベードカル教」なんていう言われ方をされることもある。


仏教への改宗は、改善の望みの無いヒンドゥー社会内の地位から脱却するためのものであった、と本には書かれているし、それは理解できるけれど、改宗したからといって、彼らが「不可触」視される状況は、結果的には変わらなかった。「不可触民」とか「ハリジャン」とか言われていたのが、「ネオ・ブディスト」と呼ばれるようになっただけ、なんて書いてある本もあった。

それは、長い間カースト制の頑強さと闘ってきたアンベードカルには、当然わかっていた事じゃないかと思う。インドでは、というかヒンドゥー世界では、ムスリムも、クリスチャンも、カースト体系のどこかに位置づけられていて、「新仏教徒」も、同じようにカースト体系を抜けきることはできない、ということが、アンベードカルに予想できなかったとは思えない。

でも、彼は仲間を引き連れてまで、改宗している。その辺が、いまいちよく分からない。

今まで読んだ本から考えると、彼らの「改宗」は半ば「意地」みたいなものだったんじゃないかな、と思うしかなくて、でも、何か、もっとほかの「意図」があったんだろうか、とか、そういうことをぐるぐる考えているところで、そもそも「改宗」っていう現象は何なんだろう、っていう方向に行ってしまいそうな感じ。

「個人の改宗」はまだ理解しやすいけれど、「集団で改宗」って、どう捉えれば良いのだろう。日本の切支丹でも見られるけど、なんか、政治的以外の意味を想像するのが難しい。