「仏教への改宗」というのが、ある種の「挫折」の結果であるのは多分間違いない。本来なら、アンベードカルは、「みながヒンドゥーのままで、カーストをなくす」ことを目的としていたはずだから。でも、ヒンドゥーとカーストは可分なのか。よく調べてないか…
何なのだろう、と、ここのところ、うすぼんやり考えている。私は高度経済成長を終えた日本で生まれ育って、政教分離の原則がそれこそ「原則」として身体に染み付いていて、「宗教は個人の、内面的な、精神的なもの」というイメージをやっぱりぬぐいがたく持…
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