つづき。

「仏教への改宗」というのが、ある種の「挫折」の結果であるのは多分間違いない。

本来なら、アンベードカルは、「みながヒンドゥーのままで、カーストをなくす」ことを目的としていたはずだから。

でも、ヒンドゥーカーストは可分なのか。よく調べてないからなんともだけれど、今のところの印象では思いっきり不可分である。

うーん。

あと、ポストコロニアリズムが知らない間にがっつり絡んできていて、統計資料の見方とかも絡んできていて、一日やっていると、1回は、「私は何を調べているのか」状態に陥る。

それで、こんなところにうだうだ書いて、必死に整理しようとしている。

とりあえず、くれぐれも「わかったつもり」にならないことです。