ゴッホ展@愛知県美術館

に、母親と行って来た。「ひまわり」の展示最終日だったからだと思うのだが、ものすっっごい人だった。チケット売り場で20分待ち、美術館の階へのエレベータで50分待ち、会場入口で20分待ちのプラカードがそれぞれ出ていた。感覚としてはそんなには待たなかったと思うのだけど。チケットは既に持っていたし。

とにかく、何にしろ、人が多かった。絵を見るには、密度が高すぎた。絵なんて、間近で見るよりはちょっと離れて見たいものだけど、離れると、人の頭ばかりで見えない状態。みんなそんなに近づいて見たいのかしら。

だから、畢竟、あまり人だかりが出来ていない作品を選んで見た。ゴッホの描いたものだけでなくて、ミレーとかモネとかセザンヌとかゴーギャンとかの、ゴッホに影響を与えた同時代の作品も一緒に展示してあったのだが、そういうのはわりとゆったり見れた。

ゴーギャンの描く自然は、生き物のようだった。生き物といっても、どちらかというと、凶暴で怖そうな生き物。猛獣とか、怪物とか。

あと、ジョルジュ・ミシェルという人の「風車」という作品がすごく好みだった。レンブラント風味の光と影で。

ミレーの絵を斜めから見ると、ゴッホの作品との『厚み』の違いにびっくりする。作品としてどうこう、というのではなくて、物理的な絵の具の厚さがすごく違う。ミレーの生地を描いた作品は非常に「向こう側に」奥行きを感じる絵だったが、ゴッホの「ひまわり」なんて、こっちにむかって飛び出してくる感じ。本当に、枯れかけのひまわりって、こうだったなぁという感じ。


ひまわりを見て思い出したのが、ゴッホの絵は、小さいときはすごく「怖い」イメージがあって、それは伝記やら何やらで知った本人の激しい性格から来る印象と、何度も重ねられて盛り上がった絵の具の部分が持つ「力強さ」に気圧される感覚から作られたイメージであったということ。自画像とか、夜眠れないくらい怖かった。

でも、数点あったデッサンには特にそんな「怖さ」はなくて、カンバスに描くとああなるのかなぁと思った。面白い。


9月いっぱいやってるみたいなので、平日にもう一度行きたい。夜のカフェテラスとか糸杉とか、人だかりが出来ていてろくに見てないし。