蟻の兵隊 @京都シネマ

最終日。結構な人の入りであった。

たいへんに印象深い映画だった。


元・日本兵であり、日本軍山西省残留問題の原告であり、そこで戦った者として、あの戦争がなんであったのかをひたすら突き詰めようとする、奥村和一さんというひとりのおじいさんを追ったドキュメンタリー。


冒頭、靖国神社を訪れて、参拝するのかとたずねられて、「国に(兵隊として)とられて、侵略戦争に参加して死んだ者は神ではない」から参拝しないと毅然として答える奥村さんと、初年兵だった時に「訓練」と称して銃剣で刺し殺すよう言われた中国人の生き残りの方の家族と面会して、「(殺されるとわかっていて)なぜ逃げなかったのか」と相手の非をとがめるような口調で詰問する奥村さんと、その対話のあとで、(無辜の農民だと思っていた被害者が、実は日本軍の武器庫か何かの見張りで、攻めてきた共産党軍と半ば形ばかりの戦闘の結果そこを明け渡して、その責任をとらされて殺されたのだと知って)「多少心が軽くなったというようなことはあるか」と尋ねられて、「ないといえば嘘になる」と言う奥村さんと、日本軍の性犯罪の被害に遭ったおばあさんに、「人を殺したということを妻にいえない」と(直接ではないけれど)告白する奥村さんと、日本軍が引き揚げ時に足手まといだからと日本人の子どもを殺したという噂について調べようと、事情を知っているだろう人のところに押しかけてしまう奥村さんと、戦友が戦死した現場で感極まり、その戦友に向けて「また、近いうちくるから」と語りかける奥村さんと、奥さんと食卓を囲み「これ、美味しいね」となんでもない会話を交わす奥村さんと、そのどれもが微妙に異なっていて、それでいて重なり合っていて、それが、妙に実感をもって感じられた。

本当に真摯に、戦争と、その中での自分の行いとに向き合おうとしているのだな、と感じた。

この奥村さんはじめ山西省残留日本兵の皆さんは、一方で「侵略戦争に加担した加害者」であり、もう一方では「日本政府に保障を求めている戦争被害者」でもあって、そのために見ていて複雑な思いに駆られる事もあったけれど、その複雑さは日本という国自体が孕んでしまっているものなのだろうと思った。


ほかに、印象的だったシーンをいくつか。

まず、奥村さんが訪ねた中国の人々の態度。
「よく生き延びましたね」とか、「すごいおじいちゃんだよ。手なんかしわしわ」とか、まるで被害者―加害者という関係なんかないかのように、自然に接していた。

前述の日本軍の性犯罪被害者のおばあさんも、いたって穏やかに、奥村さんに向かって「(過去のことを)家族に言うほうがいい」「今のあなたは悪人には見えない」と語りかけていて、それがちょっと新鮮だった。


それから、奥村さんが訪ねた「引揚げ時に日本人の子どもが犠牲になった」という噂に関して、事情を知っているとされた人との面会を終えて、奥村さんが語った発言。

「(その人は)戦争の本当の地獄を見た人だから、もう戦争のことは何も語らない。それに対して自分は当時まだ初年兵で、本当の意味での戦争は知らなかったかもしれない(そのような指摘を面会相手にされた様子)。だけど、だからこそ、自分はそれを知らなくてはならないと思う。今が最後のチャンスなのだから」

というような。うろ覚えなので細部は違っているかもしれないけれども。


もうひとつ、映画の中に出てきた靖国神社の光景に、びっくりした。なんでしょうあれ。


なんだかもうまるで脈絡のない文章になっているけれども、このあたりで。
優れたドキュメンタリーでした。