Little Birds@みなみ会館
久々に、他人に薦めたくなる映画だった。特に、あの戦争について少しでも言い訳がきくと思っている人に。
「私たち」がイラクで何をしたか。
ということを正面切って突き付ける映画。
見ている途中から今も、怒りと、贖罪と、色々な感情がぐちゃぐちゃに混ざってもやもやしている。
新聞やインターネットで記事や静止画像を見ているのとは、訳が違う。動画、映像の持つ力は、やはり特別なのだと思った。
「現実の映像」の持つ破壊力は、必ずしも良いものとは限らないかもしれないが、私はこの映画を見ることができて良かった。
映画の中で、おそらく監督の綿井さんに向かってだと思うが、「おまえとブッシュがイラクを殺した。おまえと、ブッシュだ。」というようなことを言っていた男性がいた。
一方で、弟がデモがあった時間帯にたまたま学校帰りで通りを歩いていただけで、デモ隊と一緒に米軍に逮捕されたという女性が、弟に会いたいと涙で訴えていた。
ともに、ある個人の人種・国籍とその個人が属する民族・国家の政治的なあれこれとが切り離せないと考えられているのを実感した。
「日本人はみんな一緒、イラク攻撃に賛成した」「イラク人はみんな一緒、アメリカに反抗する」という考え方は、得るところが少ないと思う。
イギリスで射殺されたブラジル人技師にしても、もし彼が「白色人種」でも、撃たれただろうか?
しかし、その一方で、私が「イラク戦争に賛成し、現在も軍隊を駐留させている日本の国民の一人」として、この映画を見て、偽善的にしろ「責任」らしきものを感じたのも確かで、それは、「かつて侵略戦争を起こした国の一員」として感じる後ろめたさと同類のものである。そして私は、その種の責任の意識は(偽善的にしろ)感じるべきでないとは考えていない。
やけに回りくどいことになっているが、つまり、自分が日本人である以上、「日本」という国に付随する「責任」に対して後ろめたさは感じるが、しかし、ある国家にどんな「責任」があろうと、その国に所属する他人に対して、その罪を糾弾するのは避けるべきだ、と私は考えているらしい。論理的にはまずいのだろうか。
ともかく、だから、「おまえとブッシュがイラクを殺した」と、真正面からそう言われたら相当堪えるだろうが、それでも、「違う」とは言えない。
全然まとまってない。