前期の

「後始末」もろもろに、どうにか片が付いたと思いきや、来週からは後期の授業が始まる。

嫌だとは思わないが、まぁ良し悪しという感じだ。

ゼミ発表の準備も近いうちに始めなくてはならないけれど、今日はとりあえず、図書館に行ったり、友人と食事に行ったり、そしたら去年英語の授業をとっていた大学の先生に会ったり、自転車の鍵を無くしかけたりした。


友人と先生としばらく近況報告のような話をしていたら、先生に「『よろこび』をひたすら最大限に得ようと追い求めること、一日中『よろこび』に耽ることは、良いことか悪いことか」という主旨のことを尋ねられて、その場では英語力の拙さも手伝ってうまいこと答えられなくて、伝わりにくかったに違いない。

個人的には、良いとか悪いとかいうより、『よろこび』をもたらすこと・行為というのは、一日中やれと言われたら困る類いのものであると思う。趣味にしろ、第一次的な欲求の充足にしろ、それらは確かに『よろこび』をもたらしはするけれど、同時にとてもエネルギーを要する。


その先生は、頻繁に「良いか悪いか」「真実か誤りか」という問いの立て方をするのだが、その問い自体が一概には言えない倫理的・哲学的なものばかりで、はじめの頃の授業では非常にとまどったのを思い出した。

それは私が真実とか善とかという言葉をいたって大層に考えていたからであるが、最近レポートのために必死になって読んでいたフーコーの、『真理』などの大袈裟な単語の背後に潜む歴史性、のようなことは、実感としてはその先生の授業で身に染みたところがあるとレポートを書きながら思っていたところだったので、非常にタイムリーで嬉しい「再会」(とはいっても所詮は同じ大学にいるので、せいぜい3、4ヶ月ぶりの)であった。