いつもの空で 今夜も君に 会えたらなあって、それだけさ

起きたら12時。しかもよくわからないくらいに血圧が低い。なんだこれ。

漸く年賀状をくれた方々に近況報告の手紙を書いて投函。遅すぎるな。

さらに英語をひたすら訳す。カルヴィニズムとジュネーブの社会との関わりについて。BGMは今日もスーパーカー

今日読んだ本

昨日図書館で借りた本を読んだ。それぞれの国家の成り立ちが外国人観、ひいては移民政策に影響しているというのは想像していたけれど、思っていた以上に根が深い。というか特にドイツにおいてはもうどうにもならない感じすら受ける。移民の話に限らず、EUはEUとして閉じようとしているような。。。ただドイツの国民観は、日本の一般的なそれと近いものを感じた。明治期における諸々の制度の導入とか、昭和初期の同盟関係の影響がどれくらいあるか知らないが、日本も国籍は血統主義だし、外国出身で日本に帰化した人を、たとえ文化的には日本人と変わらなくても、まったくの「日本人」として扱える人は少ないだろう。日本はドイツほど移民問題が少なくとも表面上は深刻でないだけの話だ。閉鎖性ではむしろ日本の方が上かも。難民認定を認めるのを渋る日本に対して、ドイツでは条件付きになったとはいえ庇護権が憲法で保障されている。
でも、ドイツのトルコ人の2世3世におけるアイデンティティクライシスの構造は、在日の人達とほとんど同じじゃないかな。高校時代の友人に在日の子がいて、彼女は「自分にとっては日本も韓国も外国みたい」と言っていたのを思い出す。
ただ、日本人と韓国人よりも、ドイツ人とトルコ人では人種的にも文化的(宗教とか、生活様式とか)にも隔たりが大きいから、差異が認識されやすくて、その結果表に出てくる差別が大きくなるんだろう。日本では、それまで普通に接していた相手が在日韓国・朝鮮人であると知った瞬間から微妙に態度が変わることは往々にしてあるけれども。
で、ドイツ社会に受け入れられないことから、移民たちは「トルコ人」として覚醒し、また差別や暴力に対抗するために信仰の力を必要として、イスラム復興運動に参加すると。

ほとんど「自由からの逃走 新版」の世界。でも確かにトルコ移民にしてみたら、このドイツの現状ではイスラムへの回帰も致し方ないような気がする。職に就けば就いたで、ドイツ人の雇用を圧迫すると疎まれ、失業すればしたで福祉政策にぶらさがってドイツの財政を食いつぶす厄介者と見られるわけで。。。
うーん。。。